国指定史跡の新田荘遺跡で、総持寺とともに注目すべき寺院として長楽寺があります。特に三仏堂は必見です。
(総持寺はこちら)
新田氏の祖・義重の子である徳川義季が開基し、臨済宗の祖・栄西の高弟であった栄朝を開山とし創建されました。承久3年(1221年)といわれます。
東日本では最初の禅寺といわれます。
室町時代に天台宗に改宗され、世良田山真言院長楽寺が正式名称です。
また、現在では歴史公園の一角に位置し、それなりの規模を維持しているとはいえ、創建当時はより広大な境内だったといいます。塔頭子院が軒を並べ、常時大勢の学僧が止宿して研学修行に励んだと云わっています。
室町時代初期に、日本十刹の制が成立すると、長楽寺もその1つに加わりました。
しかし、南北朝以降の新田氏の衰退、戦国時代を経てくると、寺院としても衰退してしまいました。
復興は徳川家康によります。
世良田義季を徳川(得川)家の祖とした徳川家康です。
天正18年(1590年)小田原北条氏討伐の功により、家康は関東の地を与えられました。長楽寺を祖先開基の寺と位置づけ、あの天海大僧正を任じ、復興に当たらせたのです。この際に天海により臨済宗から天台宗に改宗されました。
天海は境内を整備し、伽藍を修復し、幕府庇護のもと末寺700寺有余の大寺院にしたのです。
長楽寺の三仏堂は群馬県の指定重要文化財になっています。
慶安4年(1651年)、江戸幕府三代将軍・家光の命により再造されました。
桁行五間、梁間四間の一間の向拝付寄棟造りで、屋根はもともと茅葺きのものを、明治9年に瓦葺、昭和59年に銅板平葺に改められました。
三仏堂の中に安置されているのは寄木造り玉眼の漆塗金泥仕上げの坐像です。
釈迦如来像(像高約2.20m)・阿弥陀如来像(像高約2.53m)・弥勒菩薩像(像高約2.24m)で、過去・現在・未来をあらわした三世仏とも呼ばれます。
本堂は三仏堂から道路を挟んだ先にあります。
他にも勅使門や太鼓門なども県指定重要文化財になっていて、見どころは多い寺院といえます。