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国指定史跡新田荘遺跡・総持寺(群馬県太田市)

南北朝でお馴染みの新田氏は、現在の群馬県に新田荘を支配していました。
この荘園は、平安時代末期の12世紀中頃に成立したといわれ、源義家の子である義国を父とする源義重が、現在の太田市西部を開発しました。最初に早川流域と石田川流域の19郷を支配下におき、さらに37郷を開発しました。

そんな新田荘遺跡は国指定史跡になっています。
総持寺は国道354号線の旧道沿いにあり、新田氏の館があったともいわれています。だが、この館には、新田義重、世良田頼氏、新田義貞などの説があり、詳しくは分かっていません。

遺跡としては昭和の初頭までは土塁も残存していたようで、この周囲の世良田地区が新田荘の経済的、文化的中心であったことは間違いないようです。

現在の総持寺は真言宗寺院で、見た目はどこにでもあるお寺といった印象です。
見どころは梵鐘で、享保16年(1731年)に佐野天明の住人だった鋳工太田甚佐衛門藤原秀次によって作られたと伝わります。
乳の間に乳が無く俗に「いぼなしの鐘」といわれます。ちなみに乳は「ちち」ではなく「ち」と読むそうです。詳しくないのでよく分かりませんが、他に類例をみない貴重な梵鐘といわれています。

弘化2年(1845年)の世良田略絵図によれば、梵鐘がここではなく、別の場所にあったとされます。後に総持寺境内へ移築されたようです。