都内でも西部に居住する関係で、葛飾区や江戸川区は日常でそれほど縁がありません。
それでも、ある契機により、新小岩周辺には時々訪れる機会があります。別段、暇つぶしに行くわけでも、遊びに行くわけでもないせいか、周辺にどのような寺院や神社があるかなど、あまり知らず、訪れる機会もほとんどありませんでした。
今回、訪問の木下川薬師は、本当に偶然でした。
珍しく道を間違えてUターンする際に発見し、思わず見入ってしまったのでした。
この木下川薬師は正式名称が浄青龍山薬王院光寺で、天台宗寺院です。
創建が849年ということですから、江戸時代にはすでに古刹だったことになります。
なんといっても、伝教大師作の薬師如来像を本尊としているのがインパクトが強く、しかも徳川家の祈祷所・御膳所として庇護され、江戸名所として賑わっていたといいます。
天台宗浅草寺末派筆頭で、古くから木下川薬師(きねがわやくし)として知られていたようです。
境内には徳川家光の御手植えの松もあります。
境内も広く、とても気持ちの良いい空間が広がっています。
葛飾区寺院調査報告による浄光寺の縁起によれば、「嘉祥2年(849)僧広智の草庵にはじまり、貞観2年(860)3月その弟子慶寛によって一寺となり、浄光寺と名づけられた。古くから<木下川薬師>として知られ、一千有余年の法灯を伝える関東屈指の古刹である。草創の由来については、嘉歴2年(1327)の青竜山薬師仏像縁記」に明らかである。大正8年荒川放水路開削工事による移転以前は、現在地の西北0.6キロ、江戸川水道橋の少し上流にあった」とのことですので、創建時と場所は変わっているようです。
しかし、古刹としての風格と周囲の雰囲気との溶け込み方から、ずっとこの場所で存在感を出してきたような気さえします。
なお、木根川で「きねがわ」と読む地名ですが、葛飾区によると、昭和7年以前の読み方だそうです。
葛飾区が誕生してから、読みにくいために「本田木根川町」に改められたもそうです。ただし、木根川は、本来は「きけがわ」と呼び、室町時代には「木毛河」と表記していたようです。