全国にある鹿島神社の総本社、鹿島神宮。
東国随一の古社であり、数少ない「神宮」を名乗る聖域です。
大国主の国譲りのシーンに登場する武甕槌神(建御雷神)が祭神で、奈良の春日大社は藤原不比等がこの鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山に遷して祀ったのが始まりともいわれます。
鎮座する位置から、古代では蝦夷の平定神の役割も担い、武士を中心とする時代になってからも武神として崇敬されてきました。
実はレイラインを構成する謎の神社でもあるのが、鹿島神宮です。
例えば、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の東国三社を地図上で線で結ぶと、ほぼ直角三角形になります。
その他にも富士山と結ぶラインや、祭神と関係して「剣」に関係する神社とを結ぶラインとか、様々あります。
しかしレイラインを構成するためだけにここに鎮座しているとしても、なぜこの位置なのか、なんとも謎が深まります。
今でこそ参拝者や観光客で賑わう伊勢神宮や出雲大社なども、鎮座した当時は、人里離れた僻地であり、思想的には「彼岸」ともいえる地域でした。当然ながら鹿島神宮も然りです。
鹿島は現在の姿からは造像も出来ないほど不便な場所でした。
岬の端に位置し、海と川に囲まれた湿地帯でした。農作物がとれない土地のため、人家もなく、そのため道も整備されていませんでした。当時の参拝者は潮来や蚊取りからの船で川や海を渡るしかなかったようです。
集落がなく、また集落ができる要素もない僻地に、港をつくり、そこに鹿島神宮を建設したのは、常識的な日本史の知識からは到底わからないだろうと思います。
わざわざ、この地に武甕槌神(建御雷神)を祀る必要があったとしか考えられません。
それをレイランの視点から考察していくと、様々な古代ロマンが生まれます。
あるいはイスラエルの失われた10支族とも絡めての推理も可能です。
パワースポットとしても知られていますが、その代表格が要石かもしれません。
大きな神社だけあって境内は広大ですから、本殿だけでなく、色々と散策しつつ参拝するのが良いかもしれません。