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ネットで復活「弘法倶楽部」

弘法大師伝説をたずねて

弘法大師ゆかりの湯と秘説の湯 山梨周遊編(第7回)

前回に引続き「弘法倶楽部・4号」掲載予定の
「塩澤寺、厄除地蔵尊祭り」編の第2回です。
今回はユムラ銀星と湯村温泉の現状です。

ユムラ銀星

再度中心街へ引返し、宿の案内版で場所を確認する。湯村に着いた時間が遅かったこともあるが、大急ぎでも、とにかく湯村全体を確認したかったので、正直宿の場所まで意識が及んでいなかったのである。
案内版を元に歩いていくと、どんどん温泉街入り口付近に戻っていき普通の街道≠ェ近づいてきた。そして最初に見た湯村温泉病院の向かいにユムラ銀星は建っていた。

ユムラ銀星

なんだ、よく考えると自分は先程素通りしていたのだ。とりあえずホッと一息。
鉄筋三階建の小ぢんまりした外観。もう五メートルほど先はバス停のある街道が走っているということもあるが、いわゆる温泉旅館というより、街中のビジネス旅館という雰囲気。ウーン‥宿の選択を誤ってしまったか‥。その時の正直な気持ちだった。
到着が遅れてしまい恐縮する中、年配の仲居さん(?)に何事もなかったかのように二階の部屋に通された。部屋の窓から外を眺めると、道を挟んで正面に湯村温泉病院がデンと構えている。
「もう夕食の時間は過ぎてしまっておりますので、お風呂は出来るだけ早く入ってくださいね、三十分後くらいにお食事をお持ちします。」
仲居さんはお茶の用意をしながら優しげにそう言って部屋を出た。言われてみれば確かに、もう時計は七時をとっくにまわっている。なんだか仲居さんに眠っていた疲れを起こされたようで、いっきに身体が重くなってきた。
ザブンと入って飯としよう。あ、しかし湯村の湯はここが初入湯なのだ。やっぱりじっくり浸かりたい。
などと馬鹿思案しながら浴室へと向かう。
一応浴室は男女別にあるが、片方は機能していないようで、ひとつだけが使われている。(寂れた宿でよく見掛けるケースだが‥)三〜四人入れるくらいの小さめの浴室に無色透明のきれいな湯が注がれる。

ユムラ銀星の浴室

下部の湯と似て、アルカリ性の柔らかい湯だ。ただ泉温は四十〜四十二度くらいで幾分熱く、下部のように、二槽に分けて入り分けるような習慣はないようだ。
ただそれ以外に下部と大きく違う点としては、まず湯量がある程度確保されていると言う点が挙げられる。湯村温泉全体で源泉は十二ヵ所あり、その湧出量は一分間に九六六リットルになる。まあ、岩手の須川温泉の六千リットルや、草津の三万六千リットル!ほどではないが、温泉地の規模と照らし合わせると、バブルな施設を造らずに誠実に源泉を配湯するとすれば十分な湯量であろう。

前号では触れなかったが、実は下部の湯量はこれらの場所に対して非常に少ない。私の常宿の大家は自家源泉なので問題はないが、源泉をきちんと使用している宿は実は限られている。

別のホテルの前にあった効能表

昨年騒ぎになった一連のまゆつば温泉騒動の中にも含まれてしまった宿が残念ながら幾つかあったのは事実である。
温泉地にとって湯量はその地の命に等しいし、それによってその地の実力や人気が左右されるのは、いさしかたのないことであろう。しかし私は決してそれによって自分のその地に対する評価や愛着が決まることはない。
むしろ湯量が少なくとも、湯量に合ったしかるべき施設で歴史を保っているところにより愛着を感じるし、またリピートしてしまう。
私は別に温泉評論家というわけではないので、偉そうなことは言えないが、逆に実際の湯量を無視して、湯量より客量≠優先した入浴施設を造ってしまうのが問題なのである。
そういった宿が今となって行過ぎた経営根性のツケを味わっている現状であることは以前にも書いた。
たしかに、一企業として「発展させる」「成長していく」という意味での経営意識は素晴しくかつ重要なことだが、根本たる、また自らに命に等しい湯そのものと、それとは別の問題とも思えるのである。
ユムラ銀星の湯は浴槽自体は小さいが素晴しい湯であった。これでどこもかしこもが、とんでもなく大規模な施設を造ったりしたらまた変わってしまうかもしれない。
ただ、温泉地を維持し、また発展させていくには、「せざるをえない」こともあり得るかもしれないであろう。そしてその辺の突っ込んだ話はこの後、この宿の女将さんからじっくり聞くことになる。

湯村の抱える問題とは

夕食後、部屋でそろそろ焼酎のお湯割りをちびちびやりながら、今日一日を振り返っていたりしている内にもう二三時をまわっていた。
下部温泉の元市長石部さんから得た弘法大師秘説から、今現在の湯村温泉まで、大師に関する秘説・伝説、二つの説を一日の時間の中で吸収した心地よい重さを感じている時間である。(いやいや、湯村はまだ明日が本番だが)
二三時半くらいになったが、やけに隣の部屋がうるさい。よく考えたら、当たり前な話し今日は祭りの前夜である。この日のために全国から様々な人達が訪れてくるのだ。今日あたりどの宿も夜はにぎやかなのであろう。
たださすがに、身体は疲れているが、頭はどうにもまだ冴えている状況である。明日の祭りを前にして盛り上がっているのはしごく当然で、ヒトとして心の中ででも責める気にはなれない。

そこで飲んでいた焼酎とつまみを持ってなんとなく部屋を出た。ロビーで飲んでやろうという寸法である。
玄関は既に灯りが消えており、帳場の前も寝静まった雰囲気。テレビとテーブル、ソファーのあるロビーだけに明かりが点いている。田舎の旅館に共通した夜のイメージである。当然誰もいない。
しばらく一人で飲んでいると、帳場の灯りが点いて年配の女性がきたので、思わず視線を向けてしまった。なんか一人客がこんなところで飲んでたりするとヘンに思われてしまう(?)と思ったからだ。軽く挨拶し、
「いや〜祭りの前夜で、お隣さんも盛り上がってるみたいで‥」
と、ここにいる言い訳じみたことを言うと、女性は苦笑い混じりで「すみませんね〜、どうぞごゆっくりやってくださいな」

ユムラ銀星の女将さん

私はこのやり取りで「この方は女将さんだな」と直感した。浅香光代女史に似たどこか貫禄というか、存在感を感じる人だ。話がいつの間にか弾んできてきて、やはりこの方が女将さんだと分かるにはあまり時間は掛からなかった。
最初女将さんの方は立ち話状態だったが、話が盛り上がってくるといつの間にかソファーに座っていた。私は今回の趣旨を話し、この温泉地にまつわる様々な話の聞ける絶好のチャンスと思い、弘法倶楽部の前号を渡そうと急いで部屋に戻った。
前号を女将さんにお渡すると、お返しとばかりに、湯村の歴史を綴った分厚い写真集を用意してくれていた。
そして気が付いたら女将さんもまた、湯呑み茶碗の焼酎お湯割りを手に取っていた。

湯村は歴史こそ古く、山梨県では数少ない弘法大師伝説に彩られた温泉地である。ただ、下部や増富のように風光明媚な自然景観があるわけではない。実際私もバス停に降り立った時、「ここが温泉?」(失礼!)と思ったほどだ。
しかも、(ここが大事なのだが)湯治場としての位置付けが非常に中途半端な状況であることは否めない。下部などは前号でも書いたとおりリピートの湯治客に支えられている要素が大きいのだ。
その辺のことを女将さんに聞くと、やはり湯村も以前は湯治温泉としての伝統がもっとしっかりしていたそうだ。たしかにお湯自体は湯量も豊富で、その効能も温泉病院があることに証明されるように非常に高いのは間違いない。
ただ、女将さんが半ば嘆くようにもらしたのは、ここ数十年のあいだの各旅館の跡継ぎに問題があったということである。はっきり言って「何も考えてない」のだそうだ。「それはうちを棚に上げているようにもなりますが‥」とやや自嘲ぎみに話してくれたもの事実だが‥。
この宿の向かい奥に『湯村ホテル』という大きな鉄筋の宿がある。そこの今のご主人は唯一非常に今後の湯村について意識的に取り組んでおり、いわば孤軍奮闘状態だいう。
一例を挙げると、市街地という立地を逆に生かしてビジネス利用のお客さんに同等の料金で温泉旅館の情緒やサービスを提供する。それにより今までにない新しい客層を開拓しているという事である。
なるほどビジネス利用ならリピート利用にも繋がり易い。出張にきた時など、普通のビジネスホテルのユニットバスに浴するではなく情緒ある天然温泉に浸れるのだ。自分だってそっちの方がイイな、と思ってしまう。
湯治文化云々とはちょっとかけ離れているが、素晴らしい目の付け所だといえるではないか。しばし感心してしまった。
湯村ホテルのご主人はその他様々な戦略を実践しているようだが、いかんせんあくまで孤軍奮闘であり、他の旅館の跡継ぎ達は、古い伝統に乗っかっているだけでなにも考えてないのが現状ということである。女将さんの話はまさに悲喜こもごもであった。

千人風呂当時の写真

女将さんが持ってきてくれた写真集を見る。女将さんも多少ホロ酔い状態でいろいろ説明してくれる。
今温泉病院のある場所には、千人風呂という共同浴場があったこと。(病院の建物のてっぺんは六角形のデザインになっているが、それは千人風呂を偲んだものらしい)
ここユムラ銀星は以前は銀星館といい古い歴史があること。(改築時の写真が出ていた、昭和二十年代のものらしい)その他様々である。
写真をみるとこの宿を含めて改めてこの地の歴史の重さを感じる。また、その歴史を継承しながらも、今後の伝統づくりに真摯に取り組んでゆかねばならない。女将さんの話の端々には、その意識の強さゆえ、情念のようなものさえ垣間見えたような気がする。
ロビーの時計を見るともう一時四十分、さすがにお隣さんの前夜祭も終わっているだろう。女将さんに付き合ってもらったお礼を申しあげ、私も明日に向けてやっと就寝することにした。

次回は、いよいよ厄除地蔵尊祭り当日の模様を追います。



※平成17年発刊の「弘法倶楽部」第3号に掲載されていた記事を、そのままホームページ用に掲載しております。現在とは異なる箇所がございますが、掲載当時のまま再掲載しております。


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