ネットで復活弘法倶楽部「弘法倶楽部」セレクトショップホームへ戻る

ネットで復活「弘法倶楽部」

弘法大師伝説をたずねて

弘法大師ゆかりの湯と秘説の湯 山梨周遊編(第6回)

今回からの4回は「弘法倶楽部・4号」掲載予定でした
「塩澤寺、厄除地蔵尊祭り」編となります。
今回と次回は祭りの前夜として、湯村温泉にズームします。

湯村温泉街

前号にて予定外の行動が発生した為に、メインであるはずの湯村温泉における厄除地蔵尊祭りが、本号にずれ込んでしまった。
まずはこのことについて深くお詫びを申し上げなくてはならない。ただ、前号発刊後、既に読者の方々より様々な感想、御意見、ご教示をいただき、程よい(?)プレッシャーを感じつつ筆を取っている次第である。

夜の温泉街

さて、やっと「本当の意味で湯村温泉に降り立った」わけだが、予定変更のアオリを受けて既に六時近くなり、夕暮れ時も既に終了という感じ。迫り来る寒さに身体が必死で反発している状況。
宿に入る時間もかなり遅れており、さっさと入ってしまいたいが、宿の場所を探すつもりが、そのまま温泉街をぶらぶらしてしまっている。
着いたらまず散策する、という習慣というか、自分が温泉行脚の中でつくってしまったヘンな性みたいなものには逆らえないようだ。
市街地の街道沿いにある、温泉入り口からしばらく歩いていると、街灯一つ一つにひらがなで『ゆむら』と書いてあるのが目に付き、温泉街の中心部に近づいて来ているのが分かる。
やがて温泉街を流れる小さな川のほとりに『歓迎、湯村温泉郷』と書かれた赤い石製の建て看板があり、この辺が中心街だと分かる。

その建て看板の横に川を跨ぐ小さな赤い橋が架かっており、その先には、ピンク色の古びた二階建て。スナックか何かであろう『赤い橋』という屋号が架かっている。
この時間でも真っ暗であり、営業中という感じではない。それ以外でも特に土産もの屋などもなく、地元の人しか入らないような飲み屋や食堂にぽつぽつ灯りが燈っている。

鷲の湯

道がやや狭くなったその先に共同浴場『鷲の湯』があり、一階が浴場、二階は『湯村温泉芸能センター』になっている。二階のほうは現在機能しているかどうかは定かではないが、おそらく旅芸人一座の公演などをやっていた(いる)のではなかろうか?
この夜の温泉街の雰囲気の中で、私は、本誌二号で取り上げた山陰(兵庫県だが)の湯村温泉をふと思い出した。温泉名が同じで自分のなかでも何かと比較することが多かったのだが、あちらは夢千代日記ゆかりの温泉地として、夜は荒湯を中心に鮮やかにライトアップされるなど、観光温泉として非常に魅力的な整備がされていた。

ただその反面、夢千代日記の物語に描かれた温泉地のリアリズムに対するギャップを感じたのも事実である。
そして今こうして山梨の湯村温泉に佇んでいると、むしろ夢千代日記に描かれた温泉地のリアリズムと共通したものを、こちらの方に感じてしまっている。「山陰の湯村温泉も物語当時はこう言う感じだったんだろうな‥」、と。
『鷲の湯』から数十メートルくらいの一帯が一番の宿の密集地帯のようだ。そして宿の前や隙間の空き地など、道沿いの所々でテントを張り裸電球の下で地元の人達がせっせと何やら作業をしている。

にこやかにビール片手にという風情である。一瞬なにかな?と思うが、どうやら来るべき明日の祭りの出店の準備のようである。
そうだ、明日はこの一帯も十万人余りの人で埋め尽くされ、この寒さを圧倒する熱気が支配することになるのだ。ワクワク顔で準備に勤しむ地元の人達を眺めながらなんとなくその情景を想像してしまった。
しばらく歩いていくと、出店準備のテントも切れ、温泉街もかなり奥まってきたのだろう、徐々に道が細くなってくる。もう真っ暗で分からないが、湯村山という小さな山が温泉街の後ろに聳えており、道はその山の始まりに突き当たると同時に左に折れ曲がる。そしてしばらく行くと山肌を前衛するように塩澤寺の山門が現れた。

山門の周りは温泉街の中心から奥にはずれており、民家の灯がぽつぽつと言う感じ。既に底冷えし始めた夜の風景でひっそり静まり返っている。

塩澤寺山門

ここで少し塩澤寺の歴史について触れてみようと思う。

大同三年(八百八年)弘法大師空海上人が諸国を衆生救済の行脚をされたおり、この地にて厄除地蔵菩薩の霊験を感ぜられ、自らが、六寸あまりの坐像を彫刻され、その尊像を開眼されたのが、開創(福田山)とされる。以来当時の救いを求める老若男女の参拝の対象となった。
その後、天暦九年(九五五年)空也上人(踊念仏の高僧)が、全国遊行の途中この地に感じ取った著しい霊験を元に六尺余りの厄除地蔵大菩薩像を彫刻安置し、それにより開基(福田山・塩澤寺)され、以降、蘭溪道隆により再興されるなど多少の変化を孕みつつも現在に至っている。

塩澤寺側面

弘法大師の手による坐像は、完全な秘仏であり、公開することは出来ない。ただ、毎年二月十三日の午後十二時から十四日の午後十二時までの間だけ、空也上人による厄除地蔵菩薩像と弘法大師の坐像が一つとなり、その二日間(正味は一日間だが、実質二日間にわたることになる)に限り一般に公開される。
つまりこれが年に一度の厄除地蔵尊祭りなのだ。
厄除地蔵尊がこの日だけは耳を開き、善男善女の願いを聞き入れ、あらゆる厄難から解放してくださる。これが毎年十万人余の人々により埋め尽くされる力となるのだろう。
山門をくぐると、本堂までは山の斜面に従って割りと長い石段になっている。真っ暗で人気(ひとけ)のない石段を上がってみるが、なんせもう六時をまわっている。

宿に入る時間が気になり引き返そうとしたら、境内の掃除(おそらく)を終えた寺のお身内の方らしき人がいたので、ちょっと話を聞いてみたくなってしまった。もういい加減早く宿に入った方がいいと思っているのは当然だが、ただ明日になると今度は人でごった返してこう言うタイミングはなくなるのでは?とも思ったのだ。

側面にある弘法大師像

やはりご住職のお身内の方で、立ち話状態で寒さが増してきているにも拘らずいろいろとお話いただいた。その中で特に面白かった話を一つ。
この塩澤寺には、ある意味本堂が二つあると言ってもいいのだそうだ。確かにかたちとしての本堂には空也上人による厄除地蔵大菩薩尊像がある。ただ一般には公開できずに秘仏として、住職しか知らない場所にしまい込まれている弘法大師による小さな坐像その物も、ある意味このお寺の本堂としての意味を持つ…。
住職のお身内の方はしみじみと語ってくれた。
この二つの神≠ェ年に一度だけ一つになるのだ。祭りの規模も、地元の人々の思い入れや熱気もうなずけるではないか…。ますます明日に対する期待が高まってきた次第である。
ちなみに、当日は空也上人による坐像の手のひらに弘法大師による秘物がのせられるそうだ。はたして肉眼で確認できるのだろうか?ついでにこれにも期待(?)しよう。
お身内の方にはお礼と同時に「明日もまた参ります」と言い残し、やっとのことで私の足は今宵の宿『ユムラ銀星』に向かい始めた。

次回は、温泉旅館「ユムラ銀星」と湯村温泉が抱えている問題をご紹介します。



※平成17年発刊の「弘法倶楽部」第3号に掲載されていた記事を、そのままホームページ用に掲載しております。現在とは異なる箇所がございますが、掲載当時のまま再掲載しております。


前へ
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
お問い合わせはこちら
弘法倶楽部会員募集!
アートアカデミー
骨で聴く.com