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ネットで復活「弘法倶楽部」

弘法大師伝説をたずねて

関東の高野山から謎の巨石群、そして神秘の袈裟丸山へ(後編)

神秘の山・袈裟丸山

まだ誰も居ない桐生駅。わたらせ渓谷鉄道は、今ではトロッコ列車も運行する観光主体の路線となった。

翌朝、まだ町が目覚めない時刻に桐生駅からわたらせ渓谷鉄道に乗車する。国鉄時代は足尾線といい、鉱毒事件で有名になった足尾銅山まで、渡良瀬川に沿って走る路線である。現在は第三セクターで運営され、トロッコ列車も運行する観光主体の路線となった。

列車は桐生市街地から徐々に山間部に入っていった。かつて鉱毒を流した渡良瀬川も今では自然豊かな水を運び、のどかな流れが右手に見えてくる。
今日も天候に恵まれ、山の緑が眩しいほどに輝いている。暑くなりそうだ。ゆっくりと走る列車の振動も、熱を帯びた線路の上から、何ともけな気に響いているようである。
草木ダム横の長いトンネルを越え、ダム湖を渡ると沢入駅に到着する。約一時間二十分の乗車だった。ログハウス風のきれいな駅舎を出て、渡良瀬川を今度は徒歩で渡る。いよいよ本格的な山岳地帯に突入だ。雲すら突き通すほどの太陽の輝きの下、足取り軽く林道へと進んでいく。
袈裟丸山は初心者向きとはいい難い山で、観光地化という世俗的な波に覆い隠されてはいない。群馬・栃木両県に跨り、南北に長大な山体を有している。

この山の由来というのは、当然、弘法大師伝説がもとになっている。入唐求法の旅を終えた弘法大師が赤城山に高野山と同じ道場を開こうとしたところ、赤城の神は仏の地になることを嫌い、谷を一つ隠し、九百九十九しか現さなかった。道場とする条件には千の谷が必要だということで、弘法大師は残り一谷を捜し、この地にやってきた。しかしここにも谷はなく、大いに落胆し、袈裟を丸めてこの山に置いて下りたことから、袈裟丸山という名がついたというものらしい。
実はこれと似た伝説はいたるところにあり、例えば赤城と並ぶ群馬の名山・榛名山にも九十九谷という伝説がある。こちらでは谷を一つ隠したのは天狗といわれている。
標高は2,000メートル弱で、前袈裟丸、中袈裟丸、後袈裟丸、奥袈裟丸の四つの峰が聳えている。一般的には前袈裟丸を袈裟丸山とよび、登山道もここまでは比較的整備されているらしい。
登山口としては、塔ノ沢口、折場口、郡界尾根口とあるが、駅から比較的行きやすい塔ノ沢から登ることにした。林道が通じているので、車でそこまで行くことも出来るが、今回はあえて徒歩で向かうことにした。塔ノ沢の登山口は、五台くらいは停められる駐車場と、入山届を出すポスト、トイレなどがある。ここから沢に沿って登り始める。

登山口から約1時間、2キロ弱を登ると「寝釈迦」の入り口。

周囲は沢の音だけがこだまし、他の登山客もいないせいか、厳粛な感じさえしてきた。昨日の行道山や巨石群とは明らかに異なる山の雰囲気である。伝説通りであれば、弘法大師の偉大さを知った赤城の神が、己の聖域を守るために仕掛けた場所となる。赤城の神は日光の男体山とも戦ったほどの勇敢さを持っていることから、訪問者を排他的に扱ってくる場合、どんな仕打ちをしてくるか分からない。弘法大師ほどの力のない庶民としては、厳粛に、神聖にこの山を登る他あるまい。

登山道は、昨日同様大きな石に囲まれた場所を貫いている。沢は進行方向左手。支流の小さな沢は、木が掛けられただけの橋を渡って進む。傾斜がきつくなり、息が切れ、木陰の心地よさが消え、全身が汗まみれになってきた。
前髪から垂れてくる汗を拭い、斜面前方に視線が向くと、不思議な岩があるのに気付いた。人工的な石垣のような岩だ。規則正しく幾何学的な裂け目があるので、自然のものには思えない。ガイドブックにも登山の紀行文にも記述がないので、この山では特段珍しいわけではないのかもしれない。ただ、昨日の巨石群を見ているせいか、ここにも巨石文明があったのではないかという妄想が膨らんでくる。
登山口から約1時間、2キロ弱を登ると、ようやく寝釈迦に到着した。昨日の行道山で見た「かわいい」寝釈迦像と比較するのも興味がある。
ここの像は沢沿いの大きな岩の上にあった。足に力を込めて岩を登り、ようやく眼にすることができる。

幅1.8メートル、縦4メートルという巨大なお釈迦様(上)と、まるで人工物のような対岸に聳え立つ高さ18メートルの相輪塔。

巨大だ。幅1.8メートル、縦4メートルという大きさで、掌に乗るような行道山のものとは、存在自体が異なっている。
この寝釈迦像は北を枕に西方を向き、右脇を下にして横たわっている。いつ、誰によって作られたのかは不明だということだが、ここでも弘法大師説があり、また勝道上人説などもある。しかし制作年代は決して古いわけではなく、江戸時代に足尾銅山に送り込まれ、死亡した多くの因人の菩提を弔う為に刻まれたという説が真実かもしれない。
この対岸には高さ18メートルの相輪塔がある。石を人工的に積み重ねたような不思議な岩で、まさに奇岩といえる。
この相輪塔にも伝説がある。この岩は、さきほど列車を降りた沢入という場所にあり、女性の信仰を集めていたそうである。彼女たちが塔に上がるので、天狗がそれを嫌がり、一夜のうちにこの場所まで持ってきてしまったというのである。その際に上の石から積み上げたため、不思議な形になってしまったという。
神秘的な相輪塔と、偉大なる信仰心の表象ともいうべき寝釈迦をあとに、さらに山奥へ入っていくこととする。沢筋をさらに進み、笹に覆われた道が唐松とツツジの林を貫く。沢を渡る木の橋もなくなってきた。突然階段が現れ、その先には避難小屋がある。本格的登山をしていることに改めて気付かされる。

汗で濡れた衣類が、疲労のピークに達した全身を不快感にさせている。唐松の間を通り越す風だけが、唯一の清涼剤だ。軽かった足取りも、同じ足とは思えないほど重くなってきた。

自分の体に鞭打つようにして、ようやく視界が開けた場所に到着した。標高は1550メートル。

黒く焼けたような色の火山岩が付近一帯に転がっている「賽の河原」

ここは賽の河原とよばれ、袈裟丸山の中腹に開ける異様な世界だ。ここだけ木がなく、黒く焼けたような色の岩が、付近一帯に転がっている。岩は火山岩で、古よりここを訪れた人々によって石が積み上げられたのだろう。その積まれた姿が、荒れ果てた古い墓地のようにも見える。畏怖により、火照った全身を一気に冷やすようだ。登山口から約二時間、異界の地に到着といった感慨を持ってしまう。

ここにも弘法大師の伝説がある。大師が、夜、ここを通ったときのこと、赤鬼・青鬼に責められながら、数人の子供たちが石を積み上げていた。弘法大師はこれを見て、三夜看径して済度したというものである。

賽の河原を少し歩くと、袈裟丸山の稜線がはっきりと見えてきた。青い空、肌を突き刺すほどに鋭い太陽光線、澄んだ空気、さらにいえば赤城の神に守られた聖域……。弘法大師伝説に導かれ、この神秘の山に到ったことを何だか誇りにさえ思えてきた。疲労感はすべて消えていないものの、いつの間にか全身を纏う不快感は、この一瞬に消失したようである。
風も、千年以上前から現在、そして未来へと向かって吹いているようだ。


旅の終わり「水沼駅温泉センター」

水沼駅にある日帰り温泉施設「水沼駅温泉センター」。駅のホームからそのまま入れる。

今回の旅は、袈裟丸山の頂上までは行かず、賽の河原で終点とした。単純に体力の問題である。でも後悔はない。むしろ充実感でいっぱいだ。おこがましいが、「虚しく往きて実ちて帰らん」という気分だろうか。
沢入駅まで戻り、わたらせ渓谷鉄道に再び乗車、途中の水沼駅で下車。ここは駅に日帰り温泉施設「水沼駅温泉センター」がある。比較的有名なのでご存知の方も多いだろうが、自分にとっては初めての場所である。
慣れない登山のあとの温泉が、どれほど心地よいかを語る必要はないだろう。また、有名なだけあって露天風呂などは大混雑だったという不平不満も、ここではあえていわないことにしよう。湯船でそっと眼を閉じ、この旅の終わりをかみ締める。



※平成16年発刊の「弘法倶楽部」創刊号に掲載されていた記事を、そのままホームページ用に掲載しております。現在とは異なる箇所がございますが、掲載当時のまま再掲載しております。


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