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ネットで復活「弘法倶楽部」

「弘法倶楽部」とは

弘法大師・空海入唐1200年を迎えた2004年(平成16年)、東京国立博物館を筆頭に各地で展覧会「空海と高野山」が開催されました。
入場規制や整理券配布等が実施されるほどの大人気でした。まだ記憶に残っている方も多いことと思います。
弘法倶楽部はこの記念すべき年に誕生しました。ただし契機となったのは、展覧会だけではなく、弘法大師・空海が密教を受け継いだ中国・西安の青龍寺が発端だったのです。

設立時の言葉を以下に紹介します。

絶海の中、水平線の彼方から複雑に交叉する空気の渦が、弘法大師空海の乗る遣唐船に襲いかかってきました。船体を突き刺すような雨も加勢し、うねりが容赦なく平底をつついてきます。帆柱が狂ったように乱舞し始めると、船は暗鬱な空へと持ち上げられます。舳先が空中のある一点に達すると、V字谷を速攻で形成する波の谷間に向かい、船は急角度で落下していきます。激しい揺れは、船体が谷間を覆う海水に衝突したときが最高潮となり、海水という名の障壁は、非情な牙を剥き出したまま遣唐船を包み込もうとしています。
のちに弘法大師空海は「浪に随つて昇沈し、風に任せて南北す」と記しているように、延暦23年の第十六次遣唐船団は、気象に関する知識も観測もない当時の悲劇として、暴風雨に襲われ為す術もありませんでした。時に弘法大師空海31歳でした。
四隻の遣唐船はそれぞれ柁を折られ、四散し、沈没する船もありました。弘法大師空海の乗る第一船は最悪の事態だけは免れたものの、漂流状態となって迷走を始めました。
7月6日に出航した船は、暴風雨の苦行を経験したのち、8月10日に福州長渓県の赤岸鎮に漂着しました。そこは最澄の乗る第二船が着いた明州からは、約4,000キロも南に離れた場所でした。しかも長渓県は唐でも片隅に位置する貧しい田舎だったのです。公式な使者ではなく、怪しい漂着者という扱いを受けるのも、ある意味無理のない状況でした。
しかしながら、遣唐使としての入国状況はともかく、このとき確かに弘法大師空海は入唐し、さらなる苦難の末、長安、そして青龍寺へと至り、恵果和上との歴史的な邂逅と続いたのです。

この入唐求法から1200年。現代に生きるわたしたちは、弘法大師空海の足跡を簡単に辿ることが可能になりました。嵐の中をさまようこともなく、まして旅立ちに命を懸けることもなく、わずか数時間で西安、当時の長安へと踏み入れることが出来るのです。青龍寺ものちの廃仏毀釈で廃寺になってから、前世紀になって見事な復活を遂げました。

歴史的に意義を持つ弘法大師空海入唐求法1200年を直前に控えた年、気の合う仲間数人と長安青龍寺へ参拝に行きました。遺跡だった青龍寺が中国・日本の様々な協力のもと、当時の面影を垣間見せるほどに復興されていたのは驚きでした。というのも、大昔、大学時代の恩師による紀行話が脳裏に刻まれていたからです。恩師がここを訪れたときは、遺跡らしきものも何もなく、荒廃しただけの土地だったということでした。
青龍寺の復興は、四国四県と日本の真言宗の門徒衆により、中国仏教協会、西安市政府の協力の下、空海記念碑が建立されたことに始まります。さらに西安市の提唱により、東塔院遺跡に恵果・空海記念堂が唐代建築様式のまま再建されました。堂の中には弘法大師空海と恵果の説法像が並べられています。昭和58年9月のことでした。北宋の元祐元年以后、荒廃し、遂に廃墟となり地上から消えてしまった青龍寺が、弘法大師空海を偲ぶ人々の力で蘇ったのです。
参拝した日は、生憎小雨模様の天気で、肌を刺すほどの冷気が、荘厳な寺院を包んでいました。立派に再現された青龍寺の土塀の前に佇み、弘法大師空海の偉業について思いを巡らせると、時間が空間から解放され、1200年まえの浪漫が眼の前に展開するようです。冷たい小雨も何だか、日常の憂いを静かに洗い流してくれているようです。

帰国後、青龍寺に参拝した話を各地でしていると、関心を示す方々があまりに多いことが分かりました。真言宗か否かは問わず、弘法大師そのものが民間伝承を含め、現代のわたしたちの生活に大きな影響を与えていることに、改めて気付かされた次第です。弘法大師伝説の残る地も真偽を別にして日本全国に分布し、しかもそれが絶えることなく、永遠の「現在」であるばかりでなく、「未来」であって、単なる「過去」の遺物ではないのです。
折りしも、国際的視野から日本の文化を見つめる事業が最先端のベンチャー企業から誕生し、その中から日本と中国を結ぶ弘法大師空海が取り上げられたのは、まさに必然だったといえるでしょう。一緒に参拝した人たち、また参拝の話で関心を持って頂いた方々などを基点に、周囲では弘法大師空海入唐求法1200年を記念する一大ムーブメントが起きました。情熱的なこの機運に導かれ、各方面の有志を中心に本会「弘法倶楽部」が設立されることとなった次第です。会の運営を国際交流センターが引き受けることになりました。

本会は国籍・人種・性別・年齢だけでなく宗教・宗派も一切問わず、「弘法大師」というキーワードで構成する情報発信基地として、様々な交流をしていきます。情報誌としても『弘法倶楽部』を刊行し、皆様からの情報をもとに様々なことを報告していく所存です。弘法大師についてご理解される皆様の協力あっての倶楽部です。よろしくお願い申し上げます。

その後、情報誌『弘法倶楽部』を3冊刊行し、運営元の国際交流センターは親会社との関係で一旦休眠することとなりました。惜しまれながらの休会という事態に対し、ご支援頂いた方々には多大なるご迷惑をおかけすることとなり、改めてお詫びする次第です。
平成20年、世界的な不況が始まりました。世界経済の先行き不透明な状況が始まり、日本も100年に1度という暗い時代が到来しました。こんな時代の中、翌21年には興福寺創建1300年を記念した特別展「国宝 阿修羅展」が始まり、新たなムーブメントとしての「仏像ブーム」が生まれました。今までとは異なる「癒し」効果や、精神世界への新たな視点として、今までシニア層中心だった仏像に大きな光が当たりました。これは信仰の対象という側面だけではなく、美術的な側面も影響し、同時に暗い世相、先行き不透明な世界への出口を模索する姿がそこにあるのかもしれません。

弘法倶楽部の原点は、現代人にとって忘れかけていた世界を取り戻す点にあります。
日常の毒素を浄化し、絶えず新しい明日へと踏み出すためのエネルギーを求めることです。
それが「仏像ブーム」に後押しされ、単なる知識だけでなく、弘法大師・空海から語り継がれてきた「真理」に繋がる道に発展しました。そこで運営母体を株式会社アートアカデミーに移し、新しい「同行二人」の弘法倶楽部が復活する運びとなりました。

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